ヨーロッパのキルト史U


6歳になった娘の新作!


しばらくこのコーナーをお休みしてしまったのと、長くなると読みにくいのでパートUとして新たに始めることになりました。 HPを開いている方なら誰でも感じる更新の大変さを少なからず感じておりますが、見てくださる方のためにも続けて行こうと 思いますので、これからもよろしくお願いします。

今回は娘がしばらくぶりに針を持ち作ったバッグも合わせて紹介させていただきました。もうすっかり 一人で糸通しから玉結び、玉止めまで慣れたものです。糸の色まで指定するようになりました。針目の 大きさは多少気になりましたが、本人が楽しそうに縫っているので見守ることにしました。持ち手部分 だけは私が付けました。せっかく作ったバッグにあれこれ詰めてすぐ持ち手が壊れてしまったらかわい そうかな、と思いつつ。

ヨーロッパのキルト史ですが、前回ハワイアンキルトについて少しお話をすると書きましたので、ここから話そうと 思います。ハワイアンキルトの手法がドイツを中心として人気のあったシェーレンシュニッテとう技法 が使われているということは述べます。まず今日はStella M.Jones著の“ハワイアンキルト” という本から抜粋してキルトにまつわるエピソードを紹介します。この本は再版が1995年に出されて いますが、もともとは1930年に出版されたものです。Honolulu Akademy of Artsにより1973年に展示 されたハワイアンキルトの写真も沢山載せられたものです。
17歳の女性が若い中国人と恋に落ちますが、両親がハワイの人ではないと許してくれませんでした。 それでも結婚した彼女は町を離れホノルルに移り住みました。それでも普通は持たされるベッドカバーの のキルトも手にしていません。恥ずかしくて自分で作ろうと必要な材料だけは買い集めたものの、 キルトパターンもありません。人に聞くことも恥ずかしくて途方に暮れていました。ところがある晩 夢にパターンが出てきたのでした。あまりにもはっきりしていたので夢から覚めて、布生地を直接 ジョキジョキ切り、背景の布にしつけだけ済ませてまた眠りにつきました。こうしてキルトは完成した のでした。

これが果たしてハワイアンキルトの始まりとして書かれているのかどうかは不明ですが、パッチワーク キルトは20世紀前半にハワイに浸透しており、結婚の際も普通は嫁入り道具として持たされるというこ とは読み取れます。
キルトが如何にハワイに入って来たかの説はいろいろあるようですが、この本に書かれているものを 次回は紹介したいと思います。

     
前回に引き続き、Stella M. Jones氏による“Hawaiian Quilts”より抜粋してハワイアンキルトの歴史 に触れたいと思います。結論からいえば、はっきりと今のハワイアンキルトの起源は示されていません。 ただ、1820年4月3日に初めてアメリカ人による縫い物講習会なるものが開かれたということです。 11人のハワイアン女性が参加しましたが、カメハメハ大王の未亡人なども参加していたことから上流階 級に限ったのでしょう。パッチワークが紹介され、ニューイングランドの1800年代初頭のパッチワ ークブロックが作られていたのは事実です。大抵青や黒や緑を白と組み合わせて作られ、このコンビネ ーションが今のハワイアンキルトに通ずるものですが、それ以外に手がかりはないそうです。似たよう なアップリケが1840年代のアメリカにも見られましたが、それともやはり手法や色使いが異なりま す。確実に言える事は、ハワイアンキルトのアップリケは基本的に一色で、モチーフが正確に繰り返さ れることにより全体のバランスを保ちます。そしてハワイの人々のキルトは、飾りとしてではなく、気 持ちを表現する場でありました。

前のページへ トップへ戻る