ヨーロッパのキルト史

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はじめに
アメリカンパッチワークキルトをご存知の方も、案外その源流がヨーロッパの 各地に見られることには注目されていないように思われます。そこで、アメリ カでキルト作りが発展していく前、即ちヨーロッパからの移民がアメリカに到 着する以前に作られていたキルトについて徐々にわかりやすくご紹介できたら、 と思います。論文の発表もしていますので、そこからの抜粋が主となりますが、 その他出典については髄時明らかにしていくつもりです。但し、もともとドイ ツ語、ドイツ文学に携わって来ましたので、自ずとドイツ語圏中心のキルト史 に迫ることとなりますので、ご了承願います。必然的にドイツ文学からの引用 もありますが、ご参考頂ければ、と思います。ただ研究家としては、まだまだ 未熟ですので、ご意見、ご質問等ございましたらお待ちしております。


キルト専門誌を眺めますと、ホワイトキルトのトラプントやブティが紹介 され、またそれが19世紀に南仏で盛んに作られたものであることも明らかにさ れています。またイギリスでは棒状の布をつないで作ったストリップキルトや 中央に大きな布を配したメダリオンキルトという種類のキルトが作られていた ことは研究され、既に目新しいものではなくなっています。馴染みのある方も 多いでしょう。ここではその時代より更にさかのぼってキルトの存在を見てい くことにします。 
 現存する最古のキルトは14世紀末にイタリアで作られたとされる3枚でセット のキルトとされています。一枚はイギリスのヴィクトリア&アルバートミュー ジアムに、そしてもう一枚はフィレンツェにあるバルジェロミュージアムに所 蔵されています。この二枚はペアキルトとされています。残るもう一枚は題材 が同じでやはりシシリアンキルトで、こちらはフィレンツェの個人の手に委ね られています。このシシリアンキルト、あるいはイタリアンキルトと呼ばれる ものは、細かなステッチで「トリスタンとイゾルデ」のお話が絵で綴られ、人 物等に更に綿が詰められて立体感が出されるトラプントの手法が用いられてい ます。このキルトについては、キルト史には欠かせない作品ですが、パッチワ ークキルト通信社から隔月で発売されている「パッチワークキルト通信」の96 号では写真も紹介されているので興味深く見ることができます。そしてそこで は「この二枚のペア・キルトは1395年、両家の家紋が入っていることから名家 同士の結婚を記念してシチリアの職人に作らせたものだろう」とのパルジェロ ミュージアムの学芸員の言葉が記されています。当時、すでにこの手法で芸術 的にまで高められたキルトが存在していたことの証明です。
 「トリスタンとイゾルデ」のお話はもともとケルト・ブルターニュの伝承を もとにしたトリスタン伝説です。中世全般を通じて非常に人気のあった素材と されていますが、その内容は作者によって様々な受け取られ方をしてきました。 キルトが誰のトリスタンを具象化したのか、あるいは独自のセンスを加えたの かなど詳しいことはわかりませんが、その時代に有名であったのはおそらく ドイツ人の詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルグにより1210年頃 書かれたものと思われます。またこのキルトには下層のランゴバルド属(東ゲル マン族)の言葉で記された文字も縫いこまれていると書かれていました。ランゴ バルドはエルベ川下流域から南下してハンガリー地方に移住し、586年にロンバル ディアに王国を建て、イタリアを支配した後774年にはカール大帝に滅ぼされて います。このことから見ても題材に関しては少なくともドイツからの影響があっ たのではないかと思います。ハンガリー地方には今も美術館に見事なパッチワーク のタペストリーが残されています。またアーミッシュの人々がアメリカに渡る前、 ハンガリーを通っています。この辺りはまた次回につづきます。。。。


アーミッシュについてはハリソン・フォード主演の「目撃者/刑事ジョン・ブック」 で一躍世界中に知れ渡りました。キルトに関心のない人であれば、自給自足で文明 の利器を一切使わずに暮らしている、ということドイツ語訛りの英語を話すコミュ ニティということのみが印象に残っているかもしれません。ですが、そのキルトの 独特さと美しさは、キルトをする人なら誰もが一度は目にするものだと思います。 無地だけを使うことが多く、それでいて息を飲むような色のコントラスト、そして 緻密なキルティングの技術。シンプルにしてとても奥深いものを誰もが認めている キルトがそこにはあります。そのアーミッシュについて、メノナイトの人々やキルト についても数多くの著書がありますが、その中からかいつまんでご紹介しましょう。
菅原千代志氏により1997年、丸善ブックスから出版された「アーミッシュ」と題する 著書には次のように書かれています。「アーミッシュはキリスト教再洗礼派(アナ バプティスト)に属し、16世紀のマルティン・ルターらによる宗教改革のさなかに スイスを中心としたヨーロッパで生まれた。彼らは幼児洗礼を認めず、成人して自ら の意思で洗礼を受けることから「再洗礼派」と呼ばれるようになった。1525年、オラ ンダ再洗礼派のメノー・シモンズは乱立していた再洗礼派のグループを組織し、彼らは メノー派(メノナイト)と呼ばれるようになった。国家と教会の分離を唱え、政治的 な宣誓や戦争を拒否し絶対平和主義を貫き、また権威や偶像を認めなかった再洗礼派 の人たちは、礼拝も禁じられ厳しい迫害を受けた。三十年戦争(1618-1648)の後、彼ら は迫害を逃れ、戦火で荒廃したパラティネイト(ドイツ南部、プファルツ)、アルザス・ ロレーヌに移り住んだ。しかし自由は得られず重税を課された。1693年、アルザスに 入植していたスイス・メノナイトのヤコブ・アマンは、教会が本来の目的の純粋さを失った と考えてメノナイトを離れた。彼に従った人たちはアマン派(アーミッシュ)と呼ばれた。 アルザスは1712年にフランス領となり、ルイ14世によって追放されたアーミッシュたちは 近隣に逃れていったが、・・・宗教の自由を求め、現在のアメリカ・ペンシルヴァニア 州への移住を決めた。」とのことです。この引用でなぜアーミッシュと呼ばれるのか、 またメノナイトとアーミッシュの違いをお分かりいただけたとおもいます。次回はもう少し アーミッシュの話を続けていきます。(3月6日更新)

アーミッシュはペンシルヴァニア・ダッチといわれる英語風になったドイツ語を話すことで も知られています。1683年にはメノナイトのアメリカ移住が確認され、1727年にはフィラデル フィアに着いたアドベンチャー号の乗船名簿にアーミッシュの名があったとされます。1737年 のチャーミング・ナンシー号には大勢のアーミッシュの家族が移住してきており、1750年ころ までに約500人ものアーミッシュがアメリカに移り住んだとされ、1992年の調べではアメリカと カナダのオンタリオに約14万5000人ものアーミッシュが住んでいるとされています。(菅原氏に よる前掲本より)アメリカはアーミッシュにとってまさに自由の地だったのでしょう。アメリカ に移り住んでもアーミッシュの生活は変わりませんでした。電気を使わず(厳密に言えば段階的 に認めている人々もいますが)衣類や髪型も決められている厳しい制約の中で生活するアーミッ シュの女性の楽しみはキルティング・ビーであったとよく言われています。女性たちが集まって 一枚のキルトを仕上げていくこの会はアメリカ各地でみられました。そこで交わされるおしゃべり も楽しみの一つでした。仕事をしながらという点で、ただのお茶のみとは違う大義名分があった のです。きらびやかな布を継ぎはぐことが贅沢と思われるこの集団ではシンプルな無地を使って パッチワークこそ装飾的ではないかもしれませんが、細かいステッチは目を見張るものがあります。 現存する最古のアーミッシュ・キルトは1848年から50年にかけて作られたスーザン・ホチェトラー のウールでできた紺の星のキルトとされています。小野ふみえさん著の「キルトに聞いた物語」 では、1880年代から1940年代までにできたものが価値のある良い作品だそうです。

アーミッシュのキルトややや規律の緩いメノナイトのキルトは時代を超えて今も世界のキルター を魅了し続けています。そんなキルト作りはイギリスウェールズ地方の人々が移民した際に影響 を与えてできたものとする説もあります。なぜなら配色がとても似かよっているからだそうです。 確かにそうかもしれませんが、ドイツ人やスイス人系のアーミッシュやメノナイトが作ったもの で、自分たちの生活や身近な自然のなかから選んだ図案は彼らのものでした。また色使いもドイツ 人が好んだ赤と緑が多く使われています。彼らの作ったキルトはやはりウェールズのものではなく 彼らの、ドイツやスイスからのものと信じたいのは少し無理があるでしょうか。
さて、先にハンガリーとの関係について少し触れたのを覚えているでしょうか。実はボヘミアに 中綿はないもので刺繍を駆使した18世紀のベッドカバーが残されています。これはキルトではない のですが、様々な四角い布をパッチワークしてメダリオンスタイルでまとめられています。似たよ うなパッチワークと刺繍を組み合わせた18世紀のタペストリーがドイツにも幾つか見つかっています。 アーミッシュは刺繍をふんだんに使ったキルトは作ったりしていませんが、パッチワークの技術は 間違いなく目にしているはずです。詳しくはシュヌッペ・フォン・グウィナー(Schnuppe von Gwinner: 余談ですが、フォンが名前につくのは貴族の出身ということです。今でもフォンのつい た人はそれなりのプライドを持っています。私が驚いたのはドイツの知人が当時は学生でしたが、 タバコの代わりに葉巻を吸っていたことと、家紋の入った大きな指輪をはめていたことです!)著 の"The History of the Patchwork Quilt"を参照ください。写真も多くとても興味深い一冊です。
次回はドイツ人から生まれた手法を紹介しましょう。。。。シェーレンシュニッテやスラッシュの 話です。(4月4日更新)

今日は皆さんよくご存知のスラッシュキルトに使われるスラッシュについて書きたいと思います。 スラッシュとは何枚か布を重ねて切り込みを入れ、下の素材を見せ、そこから見えるひだを楽しむ ものですが、このスラッシュ技法は16世紀の前半ドイツで非常に発達していました。そしてヨーロ ッパのファッション界において広く浸透していきました。その流行は16世紀の半ばには衰退したも のの、確かにドイツが中心的存在になっていたのでした。スラッシュは切り込み、という意味ですが、 ドイツ語ではシュリッツェ(Schlitze)と呼ばれています。服飾の歴史が載っている書籍には大抵 スラッシュを使った衣服が登場してきます。最近「図説 服装の歴史」という題の大型本も出版 されましたので、図書館でページをめくってみてもおもしろいかもしれません。国書刊行会から 出版されたアドルフ・ローゼンベルクの訳本で上下巻あります。(4月17日更新)

シェーレンシュニッテという技法をハワイアンキルトを通して知った、という方も少なくないで しょう。シェーレンシュニッテという語はドイツ語です。Scheren がはさみ、Schnitteが切ること をいいます。そもそも紙から絵を切り抜くこの技術は「16-17世紀に東ヨーロッパのほぼ全土」に 広まり、芸術として尊重され、知識階級で殊に人気を博したとされています。また通常黒と白の紙 を使い模様を浮き彫りにしたのです。そこから花や動物、人などを組み合わせて繊細な絵が生まれ ました。ペンシルヴァニアとその周辺に住むドイツ人キルターは、シェーレンシュニッテのデザイ ンを単純なものから複雑なものまで、赤と緑、オレンジを組みあわせた大胆な色使いのアップリケ・ キルトに応用したと、パッチワーク通信社のNo.96、18ページに書かれています。1845年頃からメリ ーランド州のボルチモアでアルバムキルトが作られたのは有名です。19世紀最高のアップリケキルト として知られ、現在においてもそのファン層は広がるばかりでしょう。あまり多くは残されていない 貴重な当時のボルチモアキルトにはシェーレンシュニッテの技法が見られ、ドイツ人の好む樫の葉や ヒッコリーの葉を組み合わせたデザインも見受けられます。樫の葉は「16-17世紀のドイツでは、幸福 と安定した生活、長寿のシンボル」でした。家族の衣類を紡ぐ糸車のデザインと組み合わされたのも、 ドイツから新しい土地に渡ってきた人々にとって自然なことだったに違いない、と小野ふみえさんは 「キルトに聞いた物語」、暮らしの手帖社で述べています。樫は大きく強い、というだけでなく神聖 な意味ももっていました。ですからドイツの18世紀にクロップシュトックという詩人に憧れた学生の 詩人同盟はその結束を樫の木の周りで行い、葉で作った冠を帽子に被せたといいます。そうして結成 の誓いが立てられたのです。彼らはゲッティンゲン詩人同盟と呼ばれ、その中には翻訳で有名になっ たフォスや詩人のヘルティらもいたのでした。シェーレンシュニッテは19世紀からハワイアンキルト に愛用されていますが、ハワイに持ち込まれた経緯には説があり、はっきりしたことはわかっていま せん。次回にもう少し調べてお伝えしましょう。(4月25日更新)

ハワイアンキルトについてお伝えする前に、前述したスラッシュについて「図説 服装の歴史」から おもしろい記述を見つけたので引用することにしました。1500年から1550年、ドイツで見られた 服装の流行について書かれています。「この時期に特徴的なことは、1500年以前すでに登場していた 布地にパフ(ふくらみ)やスラッシュ(切り込み装飾)を入れるモードのさらなる展開が、熱く繰り広 げられていったことである。初めはたんに布地を裂いて開けるだけのことだったのが、まもなくすると、 鉛のプレートの下敷き上に広げられた布から、小さな鋭角的な型枠を使って開口部分を型抜きする ようになった。その素材はビロードと加工布で、短い胴着の場合、特に愛用されていた革もそれに 用いられたりした。裏地は絹で、明るめの色にしておくと、それがスリット(裂け目)の間からのぞ いてみえた。男性たちの場合、このスラッシュ装飾は衣装だけにとどまらずに、まもなくバレット帽や 靴、手袋といったとにかくありとあらゆるものに取り入れられていった。その手袋にも、手の付け根、 指の関節にまで同様に裂け目がつくられた。」スラッシュキルトファンには通じるものがあるので はないでしょうか。(5月17日更新)

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